桜みっくす
無いはずの記憶に戸惑うミクは……。
やっぱり 春の完成は 無理みたいだ
でも 桜が散る前に せめて 名前だけは付けてあげよう この子が春に始った証に
まだ だれも 聴いたことのない 初めての音
未来から来た者そう
この子の 名前は――
(p23)
メーカー非公式『初音みっくす』 5th song。今回は VOCALOID製作側のそれがテーマ。
前回から引き続き、いい話だね。
こういういい話のついでにネガティブな話題をふるのは興ざめな事ではあるのですがひとこと言いたい事があるので余談を。そういうのは嫌な人は以下は読まずにねがいます。
初音ミクを「現象」として語っている人ってなんだか初音ミクを「フリー」の観点からのCGMとして評価している人が多くて、それが「現象」への見方をゆがめている気がします。ユーザー(達)のオリジナル作品の発露としての部分をしか見ていないというか。初音ミクのキャラを使うのも初音ミクというツールを使うのもそのための「手段」であって、ユーザーのオリジナルな部分に価値があり、その作家性が評価されるべき、という思想があるような。
しかし現実には、初音ミクのムーブメントはアイドルマスターネタをはじめとする「MAD文化」が基調にある「ニコニコ動画」が中心。というかそれ無しではありえなかった現象だったかと。
そもそもオリジナルな音楽作品の発表だけならニコニコ動画なんていらないし、また音楽でなく小説ならば既に「ケータイ小説」として達成されていた事でもあるので、今更それを評価したところで「音楽も小説なみになった」というだけの話にしかなりません。別にそれはそれで盛んになればいいとは思いますが……。しかし初音ミク「現象」を語るにそれは違うんじゃないか、と感じてしまいます。
作詞・作曲(編曲)・歌、この三拍子が、これまで著作権を保持する者として認められていました。これが、『音源・ソフト開発・ソフト操作』の三拍子になるかもしれない……。
『列島大戦 NEOジャパン 運命の転換』(羅門祐人) p209 「あとがき」 より引用
初音ミクのもたらしたもの、というのは従来の「作者 - 視聴者 (- ツール製作者 - 発表サイト運営者)」の主従関係を破壊した事、そのものじゃないかと思います。従来は作者が「先生」で視聴者は「信者」、ツールや媒体(メディア)はその下働きというヒエラルキーが無意識の内に前提となっていて、それをひきづる人は投げ銭などの新しいシステムに出会っても「作者への還元」みたいな、それこそ従来の同人通販/ダウンロード販売の置き換えにしかならない程度の枠でしかものを考えられていない感じ。また「作者」以外の、例えば音源メーカー等に対しては逆に(「作者」様の創造性と権利を最大限に尊重するよう)その権利の抑止や否定を(法論理や倫理を根拠に)求めてしまう。
意図して「反動」の立場をとっているのならばそれでもかまわないですけれども、もしそれで「革新」のつもりでいるならとんだ考え違いなのではないかな。音楽や動画の製作者「のみ」を評価したところで、むしろ現代的なマッシュアップの現場にいる製作者を萎縮させる――自分だけが評価されるのは申し訳ない、という――だけだし、それを素材製作者にまで拡大させた所で問題は変わらない。
権利も許諾状況も定かでない複数の元ネタから、単なる「道具」の域を超えたツールを駆使し作られ、視聴者のコメントや更なる二次作品から逆輸入して進化をとげる。そしてそれ自体も元ネタの一つとなって更なる触発が……。そんな真に評価すべき状況を抑止してしまう、作品とツールと感想とそのまた相互の間に「壁」を作ってしまう方策ならば、それは進歩ではなく退歩でしょう。
著作権という、創作を商品として成立させるための方便にしかすぎないものが、思考の枠そのものを縛っている。それが「オリジナル」「作者」そして「作品」といった茶番を作っている。その事自体を批判しないと一歩も進めない。そんな事態をもたらした、そのことが初音ミクというキャラクター/音源のもたらした真の「現象」なのではないか――なんて事を考えてしまっています。
もちろん破綻しているのはコピーライトの側のみでなく反コピーライトである GPL やその兼ね合いをとっているつもりの CC も同様。もちろん単なる共産主義にしかすぎないパブリックドメインは解にはなり得ない。
エデンの園ならぬ世界は権利で満ちていて、それ無しでは生活も評価も成り立ち得ない。しかしその「権利」を成立させるためには他と区別できるだけの「オリジナル」でなくてはいけない。従って作品は「オリジナル」(及び他のオリジナルの作者に許諾を受けて流用したもの)でなければならない。(パロディーの必要以外の点で)他の「オリジナル」を流用したものは無法な存在で、狩られたりお目こぼしをうけたりするべき劣位なもの。これで今までの世の中(の建前)は回ってきたわけですが。もうそろそろ、そういった単純化は卒業しなければならなくなるでしょう。
まあ「アイマスMADは作品じゃないけど、初音ミクオリジナルは作品」(あるいは前者は不当、後者は正当)と考える人がいても仕方がないとは思いますが、その評価基準ってどこからどこまでが「自分のもの」なのか、疑問に思ってみるのも悪くないと思いますよ。それはあなたの本意なのか、それとも「そう思わされている」ことなのか、を。
単純に権利者が「許諾すればいい」「分け前を取ればいい」という話でもないわけで、そのせいで皆困って、というか困惑している。制約だらけの音源/キャラクターである初音ミクの制約を批判しても意味はない(経営が成り立たない/音源のなり手がいなくなる)わけで。要は必要なシステムがまだ成り立っていない、という事なんだと思います。今のところは「みんながニコニコする」には黙認に頼るしかないけれども、そんなのでいいなら初音ミク界隈を持ち出さずとも既に少年ジャンプあたりが昔からコミケ等のファン創作に対するに適用している事。それより先に進めるにはどうしたらいいのか……。
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