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2008年1月 9日

井の中の蛙大海を知らず されど空の高さ知る

Frogging Dance 踊りましょう
醜い楽園で カエルだけのDance
Frogging Dance 踊りましょう
緑の輪の中で 井の中の蛙
Frogging Dance 踊りましょう
小さなこの世界 それでも踊りたい

 女子向けのそれはケータイ小説として現れてきたわけですが、男子向けのそれはどういう形で現れてくるのだろうかと前から疑問に思いつつ期待していたのですが、ビデオクリップという形で来たのには納得してしまいました。

 しかしケータイ小説のそれがネタの陳腐さはあれど一応は各人のオリジナルを中心としているのに対し、こちらは初音ミクや鏡音リン&レンといったキャラクターを軸としたコラボレイト。同じCGMとはいえ方向性が逆なのもおもしろいです。クリエイター自身のモチベーションや同好の士による評価が中心の従来のアマチュア活動とは違い読者の反応こそが作品を作り出すあたりはどちらも同じですが。

クリプトンの皆さん 今まで育ててくれてありがとう
今巣立ちのときがきて 僕ら旅立っていくよ

 ケータイ小説からだと従来の小説並みの作品が出てそれが従来の小説の文脈で評価される、なんて事もありえないことではないかもしれませんが。VOCALOIDでは(今のところは)人間の歌手に太刀打ちできない事は確かなので、(VOCALOIDをきっかけにして楽曲が評価されるような事はあっても)VOCALOID作品そのものがプロユースで評価される事はないかもしれません。しかし今の段階で楽しいのはそのVOCALOIDというものに触れる事、その感情そのものを作品にする事。そうした作品が心に響きます。それは正に創始の時のみにありえる事で、時間が経つにすれ(それが成熟するにせよ廃れるにせよ)消えてゆくものなのでしょうが。


 ケータイ小説もVOCALOIDネタのビデオクリップも悪くはないのですが個人的にはその先を求めてしまいます。つまり映画/演劇を初めて超えることになった真の総合芸術であるビデオゲームというものを。六本木パソコンからディスクステーションをはじめとしたディスクマガジンへとつながる「ユーザーの手になるAVパソコン」の夢よ再び、という事ですが。

 もちろん過去の復元という話ではなくて、Flashゲームネットゲームの果てに現れる何物か。それがすぐそこまで来ている気がします。ケータイ小説もVOCALOIDもその予兆にしかすぎないのではないか。

 まあそんな抽象的な事はともかくとして今を楽しむのが正しいのでしょうね。未来というのは今の次にこそ来るものなのですから。


2008-01-13 追記:

 なんか 【鏡音リン】 俺のロードローラーだッ!COMIC版 【鏡音レン】 なんて出来てるしっ。(曲作った人 にも うp主は吹いたPZIMA返せwwwwwww と評判だ!)

 シンプルなPVも想像力を刺激していいけれども、こういう風にその想像力を絵にして表わされたのもまた楽しいね。各人によるいろんなバリエーションが出てくるのがマッシュアップのいいところ。

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