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2007年10月20日

みすてぃっく・あい i, mystic garden

つ 「メイド支援」

解題

 『みすてぃっく・あい i, mystic garden』は、第1回小学館ライトノベル大賞【ガガガ文庫】部門で《期待賞》を受賞した『虚数の庭』を大幅に改稿のうえ改題し2007年9月19日に発売された一柳凪(いちやなぎ なぎ)の処女作です。


  • Q2 作品が文庫になっていく過程で感じたことは?
  • A2 商業レヴェルで通用する作品を作りあげるのがどれほど大変か思い知りました。
  • Q3 デビュー前と後で変わったことは?
  • A3 デビューが決定して以降、毎日切羽詰まってます。
  • Q4 今後の執筆活動への意気込みをどうぞ!
  • A4 愉快なエンターテイメント作品を馬車馬のごとく生産してゆきたい所存です。

『ガ報』 2007/9 ●第0005号 「9月のガガガ文庫は新人作家がいっぱい!」一柳 凪『みすてぃっく・あい』 より引用

 この「小学館ライトノベル大賞」ですが、

賞金と待遇
大賞200万円 応募作品の文庫デビュー
ガガガ賞100万円 デビュー確約
佳作 50万円 デビュー確約
期待賞 10万円 毎月 2万円を 1年間支給

という構成になっています。第1回の募集時点ではまだガガガ文庫レーベルからの作品発売はされておらず、この賞の《大賞》「マージナル」《ガガガ賞》「学園カゲキ!」受賞作が2007年5月24日の初刊行に含まれる事になりました。

 他の同様のレーベルでの新人賞との違いは、タイトルに「ライトノベル」が含まれる、つまり「ライトノベル」というジャンルを意識した始めての(先に2004年7月よりの「MF文庫J ライトノベル新人賞」有り)新人賞である事。《大賞》の賞金が200万円と大きい事。そして、その《大賞》受賞作以外の応募作の出版を保障していない事。他のレーベルのそれだと即戦力になる作品を求め、(それのみで完結している事を求められる新人賞応募作なのにもかかわらず)そのままシリーズ化、という事も多いわけですから、母体の出版社が大きなものである小学館の特質を生かした腰の据わった方針です。(とはいえ第1回受賞作においては、(ガガガ文庫部門に限れば)全て受賞作を改稿したものが出版されてはいます)

 それとこの《期待賞》における「毎月 2万円を 1年間支給」という副賞。《期待賞》はそもそもデビューを確約していないわけですし拘束規定もありませんから、これは純粋に支援金。自レーベルに限らぬ新人育成に力を入れている感じです。(まあ担当も付くでしょうから、支援金貰っておいてあえて他レーベルに走る必要も無いわけですが)

 そんな小学館ライトノベル大賞《期待賞》受賞作。


注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。


 さて、この作品は

  • etude
  • i imaginary
  • ii garden
  • etude

という4つの章で構成されています。というより「i imaginary」(虚数)と「ii garden」(庭園)という2つの章の前後に、共に「etude」(練習曲)の名を持つプロローグとエピローグが付く、といった感じでしょうか。

ゆきのかなた

etude

この全7頁の短い章では、主人公の過去の記憶らしきものとして、雪中での足跡を辿る孤独な行進が描かれます。四百七十四歩目にして倒れた人影に出会い……。

 さえぎるものの何もない平原というのは、迷路とどう違うだろうか。
 目印ひとつない平原にポツンと置かれたとして、どうやってゴールを目指せばいいのか。始点と終点の見分けすらつかないというのに、何を基準にして順路を決めたらいいんだろう。いや、そもそも終着点などありはしないのだとしたら?

(中略)

 ―― 一本の直線でできた迷路、という話をどこかで聞いたことがある(直線もまた私を苛立たせる)。

(p13)

短い頁数の中で白と赤、迷路と直線、といったキーになる概念が一通り出てきます。そしてこの後も使われる事になる太字傍点という2通りの強調の使い分けが始まります。

(以下、引用部において「傍点」の代用として下線を使用します)

 ――ああもう、どうしてこんなに白づくしなんだろう(p11)

傍点部は客観的に強調するべき部分に、

 幼い頃、私は友人から迷い人と呼ばれたことがある。(p14)

太字部分は心に突き刺さる言葉、と使い分けられている感じです。

 ところでこの太字の部分ですが、ここはぜひとも二色刷りにして赤字で印刷して欲しかった所。ですがまあ、コストパフォーマンス命であるライトノベルのレーベルでそんな凝った事は出来ないか。

i imaginary

 「1章」に当たる「i imaginary」は主人公の蝶子が 耳許で『法の書』をささやかれながら目醒める という印象的なシーンから始まります。216頁の本作の7割程になる155頁を占めるこの章は、まるで意識下に押し込められたかのように行下端に節名を記される

  • 12月27日
  • 12月28日
  • 12月29日

の3つの節に分かれます。

 1日目の「12月27日」では、年末で管理人も不在のニコラウス女学院学生寮に唯4人居残る事にした美術部員たち、

久我崎蝶子(くがさき ちょうこ)
主人公。本作は終始、彼女の視点で描かれる。本が好きな書淫。過剰な人間関係によって疲弊するのを厭わしく思う性質。選択できない人。直線が引けない。
門倉せりか(かどくら せりか)
主人公蝶子の同い年の幼馴染にして唯一の親友。多動性なちびっ子。トマトジュースとケチャップと唐辛子と柘榴が好き。スパゲティや豆乳や蕪や里芋やお麩や大根やセロリや筍や白菜や芽キャベツやカリフラワーやエリンギや糸蒟蒻やお餅や春雨やチェダーチーズや烏賊やシラスやグラタンや貝柱や蒲鉾や茶碗蒸しやヴァニラアイスやお粥が嫌い。つまり赤が好き、白が嫌い。赤一色の服装を好み、赤一色の部屋に住む。
沖本由真(おきもと ゆま)
美術部部長。料理が得意。お嬢様然とした温厚なのんびり屋。というか、惰弱、脆弱にして鷹揚。でも微妙に根に持つ腹黒、かも。
三輪歩(みわ あゆむ)
3年生で美術部前部長。胸胸しい人。エキセントリックなマイペースさ。書物、というか文字を愛する。同じ図書委員の縁で蝶子を美術部に誘った。(そして芋づるで親友のせりかも美術部へ)

の、微妙な不可思議を孕んだ、

 出来の悪い少女小説みたいな世界だった。
 出来の悪い――けれども、居心地の好い世界。

(p196 ii garden)

が描かれて行きます。

 せりかの偏食が印象の朝食風景。部長の提案になる湖畔へのスケッチ・ピクニック(ここで部長の絵の色彩異常、三輪先輩のハイパーリアルな精密画、そしてせりかの怪我と血と多動の描写)。そしてどきどきする三輪先輩とのお風呂体験の後、シーンは昨晩の回想へ……。

『虚数の庭』……実際、それはなかなかに奇妙な本だった。
 全体の恰度(ちょうど)中央にあたる二頁に書名と同じ 《虚数の庭》 と題された一篇の詩が配されており、本の前半はその詩に対する長いながい序文、後半は長いながい解題が連なっているという、やたら勿体をつけた構成になっている。言ってみれば、たった二頁の詩こそがこの本の実体で、あとはその中心点のまわりを付随的な言説が浮遊しているようなものだった。

(p102-103)

 『虚数の庭』の中心となる詩 《虚数の庭》 を口ずさみながら読む途中で、

 薄れる。夢のなかで眠りにおちるような、奇妙な感覚だった。(p106)

奇妙な感覚を感じつつ意識を失い、それが「12月27日」節の最後。

 つまりこの節は12月26日の晩の回想のまま終わるので、この節「12月27日」の冒頭にループして(あるいはマトリョーシカ人形(それは9体(1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9 そして不在の 000000)×3組=27)のように入れ子になり)繋がる形で節が閉じられます。

 2日目の「12月28日」では、風邪で寝込むせりか、その看病から。彼女らの人として軸がぶれている感じを強調しながら、せりかの蝶子への突然のキス、それを受けた三輪先輩による蝶子への迫りとそのシーンのせりかの目撃と、いよいよ百合三角関係が盛り上がってまいります。

「あるいは……そう、量子論の多世界解釈によれば、量子的観測が行なわれるたびに波動関数の収束が起こるのではなく、その都度世界じたいが分岐し、私たちのいるこの世界と平行して無数の世界が存在しているのだというね」(p139)

世界自体への疑念を孕み、日付は次へと。

 3日目の「12月29日」最終日。一面白く降り積もった雪。消え去った『虚数の庭』。庭園、迷路、数列、密数学、そして虚数。世界への暗喩を孕んだ形而上学的会話。そして皆がせりかの不在に気づき雪中への探索と、事態は作品冒頭での「etude」のシーンをなぞる展開に。しかしそこには(etude でのそれと違い)血を流しながらもまだ生きているせりかが――

ii garden

 2章に移ってからは急展開で数段に渡る話のひっくり返しが行なわれます。

 いつしかせりかはひたすらに赤いものを偏愛すると同時に、幾度となくリストカットを繰り返すようになっていた。せりかの白い肌に、断続的に直線が走った (直線を引く時私は否応なくせりかの傷痕を連想させられた)。
 そのたびに私は「一」をかぞえた。せりかが肌に刃物を振るうごとに、一つずつ増えていく。その数が、私の心に他のどんなものよりも深い意味と重みをもって積み重なった。思えば私が数をかぞえることに執着するようになったのも、あの頃からではなかったか……。

(p180-181)

 まずせりかの無痛症と蝶子のそれに関する記憶の抑止が明らかに。他人に無関心な蝶子の気を引き続けるために、せりかは自分には無縁の痛みの赤い直線を引き続ける。蝶子は直線がまともに引けなくなるくらいその行為により壊されているのに、自分にも無関心な蝶子はそれを(この段階に至ってすら)無自覚のまま抑止し続ける。仮想の痛みが彼女を壊す。

 ちなみにここらへんのシーン、あまりに痛く感じて読むのを一時中断してしまいました。当人が痛みを感じない無痛症だからこそ読むほうは痛さを感じる、というのも不思議な作用です。(そしてそれはこの本のテーマそのものでもあります)

「――だって、せりかは一年前に死んでるはずじゃない

(p186)

 嘘。
 だって私は、雪のうえを渡っていって、せりかの屍体を。この眼で。
 間違いようもなく見たはずなのだ。
 カッターで手首を切って雪のなかに倒れた見慣れた服に、見慣れた髪型、見慣れた――せりかの亡骸を。
「きぐーだねっ、あたしもここで去年のこと思い出してたんだよ。あたしのこと見つけて、それからぎゅーって抱きしめてくれた。ちょーこの方から抱きしめてくれたのは、あれが初めてだったねっ。みずーみは、だから、思い出の場所」

(p187)

 目の前に居る、血を流し続けるせりかを他所に、「せりかが死んだ」という記憶を思い出し混乱する蝶子、落胆するせりか、そして平行世界説を唱えだす三輪先輩。

 私は、せりかを喪うと同時に自分じしんも喪ってしまった。

 それはほんの気まぐれだった。
 あの夜――あの謎めいた詩を読みながら私は頭の片隅で、せりかがまだ生きている世界を望んでしまったのだろう。そして、せりかが無痛症であるなら、他の人たちも何かしら奪われていればいいと。そんな倒錯的な世界を、ちょっぴりだけ思い描いてしまった。
 夢想は、珈琲に垂らしたミルクのように (あるいは毒のように) 私の心に拡がった。

(p193)

 しかし先輩の平行世界説を受けた蝶子は、自分の願望がこの世界を造り出したのだと思考を進めてしまいます。

 世界のなかに理念化されたもうひとつの世界を造ること、と先輩は言っていたっけ。私にとって、ここはまさしくそういった空間だった。
 冬休みの学生寮、四人だけの生活。
 無邪気な触れあい。不器用な口づけ。突然の告白に戸惑う自分。
 私はその筋書き通りに行動してみた。この世界は――せりかは、先輩は、部長は、本来いるべきでない私という異物を優しく受け入れてくれた。
 私は戯れた。
 私は諧謔けた。
 私は嘯いた。
 どこまでも借り物でしかない私はどんな嘘だってつけたし、いくらでも猫をかぶることができた。不自然なくらい心地好い日常を狡猾に演じることができた。私に比べれば、せりかの道化ぶりなんてよほど可愛いものだった。先輩の詭弁を拝聴しながら、何より滑稽な詭弁は私という存在そのものだと思った。
 虚数――imaginary number。
 何処にもない数。
 概念のなかでだけ、存在する数。
 それは少しだけ、私に似ている。私はカラッポの匣で、ありもしない世界を夢みた。

(p196-197)

 恣意か偶然かはともかく、せりかの死んでいない世界にシフトした蝶子は無意識かつ恣意的に、自分の記憶を封じたまま少女小説の主人公を演じだした。それが「i imaginary」=「私は、虚」。

「んんー、でもこっちのあたしとかそっちのあたしとか、そんなのは、どうでもいーですよ」

(中略)

「ねえ……ね、どっちがいーの? あたしとセンパイの、どっち?」
 せりかは迷いもためらいもなく真っ直ぐ私を見上げて言う。
「あたしは、ちょーこと一緒にいたいよっ!」

(p199-200)

 目の前のせりかから選択を突きつけられる蝶子。逃げる蝶子に追うせりか、という今までの図式から外れ初めて立ち止まった蝶子は……。そして、

「せりかは……私を選んでくれるの?」
 小さく、言葉を投げかける。自分の声が震えているのがわかった。
「……私は、ここにいていいの?」

(p201)

 「私」しか認識していなかった蝶子が、願望で作られた仮想の世界と認識したこの世界に来て初めて、他の「私」であるせりかと出会えた。「ii garden」。しかし、正にその仮想だと思う事のせいで……。

 この世界にとどまって、部長から色覚を、先輩から聴覚を奪った状態で私一人ぬくぬくとノウノウと振る舞って……せりかの死を忘れて、何事もなかったかのように同じ過ちを繰り返して、繰り返して、繰り返して、彼女をまた緩慢に見殺しにする……そんなのは、あまりに残酷だ。
 せりかと一緒の時間を。せりかの眼差しを。せりかのスカーフを。せりかの体温を。せりかの唇を。せりかの傷痕を。
 せりかの血を。
 せりかの笑顔を。
 無邪気を。
 私がこんなふうに消費していいはずがない。

(中略)

「せりかのことは忘れない。この三日間のことは忘れない。一緒に過ごした時間を忘れない……どんなことがあっても、忘れないよ」

(中略)

「だから……忘れないために、ここにはいられない」

(p203-204)

 仮想は仮想、というその考えには一理あるとは思うものの、この世界にも元からの蝶子が居たはずでその真の蝶子にとってこの世界は現実、というような事、彼女は考えもせずに自分の理屈で突っ走ってしまっていますね。この蝶子と入れ替わって戻る真の蝶子はせりかに対して……って話の本題とはずれてしまいますからその手の思考は止めますが。(まあスカーフの左右付け替えはその真の蝶子への(先輩が落としたチェスのナイトの黒白と同じく)符丁、という推測も成り立ちますし、目撃者の先輩も居るわけだし、何とかなるのでしょう)

 さて、沖本部長の居残った寮に帰ってせりかが寝て、つまり面子の内でせりかと部長が入れ替わり、「ii garden」後半が始まります。

0 愚者 せりか
1 魔術師 先輩
2 女教皇 蝶子
3 女帝 部長

余談になりますが。この作品の登場人物の性格(キャラクター)はタロットを元に作られている感じ。主人公の蝶子に対応する「女教皇」は月でありトーラの書を持ち実在しない女教皇ヨハンナ。またカバラにおけるセフィロトの樹の小径への対応に従うと中央にある均衡の柱の最上部で、他の3人が形作る至高の三角形へと分け入る形になります。

 それはともかく。そのカバラのゲマトリアやら量子論の波動関数やら無限の文字列やらの話の果てに、夢。

「まあ、こんな話が『虚数の庭』という本に関係あるかどうか、本当のところはわからないし知りようもないけれど。……でもね、私はやっぱり考えてしまうんだ。
 一冊の本を読んで眠り、夢をみる……そして眼が醒めた時には、みた夢の内容に一致する平行世界に転移している――それこそ夢の書物だろう。《割り、足し、掛け、そして了解せよ》 ……不在の文字と虚構の演算で、ありうべき世界に書き換えること。改変すること。それが 《虚数の庭》 という詩にして装置なのじゃないか」(p214)

 そして「ii garden」の最後は 別の平行世界で 《とは異なるが書いたものなのかもしれない と嘯く三輪先輩が「記憶」から呼び覚ました(この世界に元居た)蝶子の口の動きから再生した 《虚数の庭》 を、蝶子に書き写させて……

「 ここは私の庭で、庭はどこまでも拡がっていた

(p219)

etude

 最後の方の「etude」はその 《虚数の庭》 を聴き/書く蝶子の夢想の中。最初の「etude」が回想つまり過去の記憶ならば、これは未来の記憶。

 胡蝶の夢バタフライ効果な拡散する夢想の中で彼女は――

 これは、
 どこかで見た光景だと。
 そう思いながら私はゆるやかにまどろみにのなかにおちていった――

endless

(p225)

 最後はいろいろに解釈出来ると思いますが、正にその色々に解釈できるという事そのものが最後の状態そのものなわけで。想像しうる全てが正解であり、そしてそれこそが「etude」、という事なのでしょう。

 そこをあえて、それこそ etude の一つとして提示するなら。最後の「etude」は最初の「etude」に繋がっている。2つの状態を発振するように繰り返すのが収束した解なのではないか、そんな夢想をしてしまいます。せりかの白い手で押し出され、先輩の目で捉えられ、そして蝶子の手で書き取られた 《虚数の庭》。その存在が全ての中心で――いや、それだと「どこまでも拡がっていた」にはなりませんか。

 やはり、無限の可能性を繰り返した果てにまた、ここに戻ってくる。それが正解なのかな。なにせ「i, mystic garden」=「私は不思議の庭園」、つまりこの世界そのもの、なのですし。

閉ざされた女子寮。

第1回
小学館ライトノベル大賞

期待賞

わたしたちの、
キケンなアソビ――

幻想百合ミステリー

参考

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