小説に読まれています
小説の評価が気になります。
自分は正しく読めているのか、理解しているのか、誤読していないか、評価は適格か、論理的か、客観的か、理性的か。不当な難癖をつけて、作者が意図したように受け取れていないのではないか。過剰に行間に読み、作者の想像を越えて没頭してしまっていないか。
──と、不安になる一方。読み方はひとつじゃない。正しい読み方も誤った読み方もなく、読者の数だけ読み方があって、あらゆる読み方が許容される。その自由が、本読みには認められている……とも思います。
私だと、正しくなんて読めてないし、理解も出来てないしそうしようとする気も無いです。小説を評価するのではなく小説によって評価されたい。論理性も客観性も捨て小説に感情を任せたい。正当不当無関係に小説から受ける全てと格闘して感情にまかせた難癖も付ける。作者の意図なんて知るものか。作者の意図した以上に行間を膨らませる気になる作品ならそれが意図だろうが偶然だろうが過当評価だろうが不当評価だろうがケッサクじゃないか。
小説を読んでいるのではなくて小説というツールにより自分が読まれている、という感覚を常に持っています。同一の小説を読んでも人により千差万別の感想が出るというのはそういう事でしょう。読んでいる小説が違うのではなく、それを読んで何かを触発される個々人が違う。その作品を読んで何を思い何を考え、そしてその自分の感情から何を切り出して感想を書くか。作品によって私の方が創作されている。
小説の評価なんて気にならないです。そうではなく、自分が読んだ小説と同じものを読んだ誰かは自分と別の感想を書く、その小説によって読まれ創作された感想という名の作品にこそ興味があります。だから他人の感想を読む。小説の評価ではなく、小説というツールによって読み出されたその人そのものを読んでいます。
小説の事を理解したいとは思いません。人間の事を理解したいです。そして、自分の事を。
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