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2007年7月22日

時をかける少女

時をかける少女

アニメ版時をかける少女』をやっと見ました。これは良い青春物ですね。マンガ版を先に読んでいたので話そのものは知っていたのですが、アニメだと主人公の真琴がタイムリープする度に頭打ってバカになる(違)様子がコミカルで楽しいです。


原作は絶望に関する話で、タイムリープと未来人という非常に触れてしまった後にそれ無しでの日常を続けなければならない事の不幸で締められている話なのですが。後に尾道三部作の1つとして作られた大林宣彦版実写映画ではそれがノスタルジーの衣でごまかされていました。

今回のアニメ版では肯定的な未来を予感させるオチを付けて(舞台と時間と主人公を原作主人公の姪の世代の「続編」とした事もあり)原作のそれに対する克服としていますけれど、しかしそれが故に原作での問題提起に対しては単なる逃げになってしまいました。別の言い方をすれば「奇麗事」、非常を日常としてしまい話自体が奇麗に切り取られた「作り物の青春物語」にしてしまっている。タイムリープは作中の真琴が出会い目指すものであっても視聴者には無関係の現実、触れられないが故に奇麗なままで置くことのできる「絵空事」。作中で「絵」が重要なモチーフとして出てくるのもそれを作者が自覚的にやっている事の表明でしょうか。主人公真琴の叔母として出てくる原作主人公である 魔女おばさん こと和子が「絵」の「修復」を職業としているのも、ある意味残酷とも言える暗示――真琴の物語は彼女にとって他人事として鑑賞するもので自分が体験し創造するものではない――であるのかも。

そしてその「他人の絵」を未来に届ける事を誓うのが話の締めとなっているこのアニメ版は、原作破壊しない範囲での「二次創作」として優れた「余興」ではあると思います。


でも『時をかける少女』の二次作品としては、原作破壊を辞さずに挑んだツガノガクによるマンガ版の方がいいかな。

あるいは原作テーマの踏襲としてだと『涼宮ハルヒの憂鬱』あたりの方がより深く受け継いでいるかも。(これもアニメ版原作テーマをスカしている別の例ではありますが)

原作でのテーマ云々を抜かして見るならアニメ版も良質な青春物ですけれどね。特に「カウンターというリソースだけ消費すればいくらでもやり直しできるリセット可能な疑似体験」を多数重ねたあげく、それを消費し切った後に起こった最初で最後のタイムパラドックス(他人の手でリセットされカウンタも復活したのに記憶が残っている)=奇跡により本当の体験(選択)に真琴が出会うのは、話としてとても奇麗ですし。

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