老人と宇宙(そら):ジョン・スコルジー
『宇宙の戦士』への批判的オマージュ作品は『終りなき戦い』『エンダーのゲーム』といった訳者あとがきで上げられているアメリカSF小説は元より、和製アニメ『機動戦士ガンダム』をルーツとするリアルロボット系アニメ及びそれの影響下に出現した『フルメタル・パニック』のようなライトノベル作品に到るまで数限りなくあるわけですが、これは本家アメリカSFでのその最新のモード。
主人公が何も知らない若者であった『宇宙の戦士』に対比して、この『老人と宇宙』で入隊するのは人生リタイア寸前の老人。社会や戦争の意味なぞ充分に承知している彼等が機械の身体を貰い(違)第二の人生(文字通り)を軍役に捧げます。
さすがに本家アメリカのSFらしく、戦争する事の意味に関する考察は平和ぼけ日本の作品とは比べ物にならないくらいちゃんと出されていますが。それが故にか主人公は戦争の一場面に接するのみの一兵士の域を出ず、日本での(いわゆる)セカイ系作品が提示するような等身大の卑小さと巨視的な視点を感情論でいっしょくたに見るような暴虐なフィクションにはなり得ていません。つまり妥当ではあってもフィクションの持つ力という点では劣ってしまっている。
もちろんこれは自国民が外に出て現実に戦争しているアメリカと、国内に居る(正式な)軍隊はその(外国人である)在日アメリカ軍のみで、それも駐屯している日本国内ではなく更に他所に出て戦っているだけの日本との感覚の差もあるのでしょうが。(元は等身大のマッチョイズムを宇宙空間に持ち出すためのアイテムだったパワードスーツが、日本では血肉持つ肉体性を隠蔽する巨大なモビルスーツに変わってしまうように)
でもそれが故にか、作中に相手の(低い)レベルに合わせた武装を用意して儀式として戦いを挑むコンスー族のような題材を出しても、それ以上踏み込めず単なるエキゾティックで不可解な存在で終わってしまう。
日本では『戦闘妖精・雪風』からこの方、ハインライン的な民主主義的現実主義でもクラーク的な技術進化楽観主義でも無い両者をせめぎ合わせ止揚したような場所から玉石合わせ『ほしのこえ』や『琥珀の心臓』といった作品群がぞくぞく出ていますけれども。アメリカではそういう方向のものはウケないのかも。
アメリカだと和製アニメでも例えば素直な反骨物である『宇宙海賊キャプテン・ハーロック』は受けてもマザコン的セカイ系の要素が強い『銀河鉄道999』はさほどでもないと、日本の状況とは逆転していたりするようですし。
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