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2005年11月 3日

アンクルサムとアンクルトム

テヅカ・イズ・デッド』第3章を読み終えました。現在のところ、先の懸念がいちばん悪い形で当たっている感じ。というかこれは、たけくま氏の記事を読んで過大な期待をかけてしまった私の方が悪いのであって、マンガ(批評)業界内批判としてのこの本の価値を貶めるものではないのですが。

というか、絵で表象されるかどうかは問題ではないと思う。だって『不思議の国のアリス』のアリスとか『竹取物語』のかぐや姫とかに萌えるのは「それがマンガだから」ではないし……。もちろん萌えを端的に受け止める記号として絵というのは強力な手段だけれども、それは結果であって原因ではないのではないかと。

それ以前の問題として、「なんで『ピーナッツ』ではなくて『ぼのぼの』なの?」というあたりで疑問を感じてしまい……。東浩紀氏の著作を読んだ時も「なんで『えここ』じゃなくて『デ・ジ・キャラット』なの?」とかの基本の部分で違和を感じてしまいましたけれども。なんか、わざわざクリティカルなものを避けて通っているような感じを受けてしまいます。

あるいは、こういう題材(記号と身体)を問題にしたいのならばアンクル・サムとかアンクル・トムとかを比較対照として扱う方が、日本のマンガのみを直接問題にするよりも早道かも。

わが心のフラッシュマン』(中島梓)のその先をこそ見たいのに、その3歩前あたりでよちよちしているものばかり。もちろん作家の感性に論理的な評論が追い付くのはずっと後、という事は分かってはいますし『テヅカ・イズ・デッド』が無意味とは言いませんけれども。学問というのはまだるっこしいです。

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