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シャナとかノエインとかはにはにとかも見たのですが、喚ば飛び2冊を一気読みしたせいだかでぬるいアニメについて書く気にいま一つならないのと、ココログが異様に重い(ココログフリーで会員増大したせいか?)のとでパス。とりあえず FLET'S で最終回を配信した LAST EXILE だけ書いておきます。
……何この小川一水(笑)。いやこっちの方が先だけれども。
中心挿話はアレックス艦長のモビーディックな復讐譚なのでしょうけれども、雑音が多すぎな上にマエストロ・デルフィーネという分かりやすいグレートマザーな悪が登場したせいで「自由のために小異を捨て悪の独裁者を倒す」みたいなアメリカンな凡作に堕してしまった感が。まあ GONZO 10周年記念作品という事で「失敗できない」という制約から古風で大鑑巨砲主義な詰め込み作品になってしまったのだろうか。いやそれも作品のモチーフである近代初期のノリには合っていると言えば言えますけれどもそんな所で統一されても……。
基本スキルが高いので見栄えはする作品ではありましたが、シャナのようなはっきりと駄作だけれども萌え燃えなシャナの絶対領域が出れば全て許す! な引力も無く、ノエインのような今更ではあっても今の十代に見せたいという重みも感じず、無難を絵に描いたような代物。
特に話題にならなかったのも仕方ないような出来ですね。小川一水以上笹本祐一未満、みたいな。
それにしても。アホのデルフィーネはともかく、ディーオくらいはどうにか出来なかったのでしょうかね。ルシオラも浮かばれないですよ。いや死ぬのはいいとしてあんなアホな死にかたとは……良いギルドは死んだギルドだけ? それでいて銃兵氏はちゃっかり生き残ってるし。見え見えの感動誘導には白けます。というかラヴィくらいは最後に死ぬものかと思ってたのですが。エンディングのアレはその暗示で、天に散ってエンジェル・ラヴィと化したのを偲びながらアルとクラウスが二人宜しくやっていく、というオチかと思っていたのですが。あるいは晴れて天下唯一の絶対権力者である皇帝陛下となられたソフィアが結局はデルフィーネと化して行き、新たなレジスタンスとなったクラウス達が「俺達の戦いは、まだ始まったばかりだ」で未完……って終わらないと困るけど。(笑)
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読んだもの:『覇 信長記 8 燃ゆる信長』
イラスト:影井由宇 HP
……あのさ、順番が逆じゃない?
まあ新システムは最初は不具合出まくりでしょうから、広告付き無料ユーザーが率先して人柱になってくれると思えばありがたく思うべきなのでしょうけれども。
今回のリリースで残念だったのは、既存のベーシック/プラス/プロを、同時にバージョンアップできなかったことです。ギリギリまで頑張ったのですが、どうしても間に合わない部分が出てきてしまい、リリースを2006年3月に延期させていただくこととしました。
ところで、トラックバックの保留とか言及リンク無しのトラックバックの拒絶とかの機能も付けて欲しいのですが……まだ付かないのかな?
それと、個別記事単位でのデザインの指定にもちゃんと対応して欲しい所。
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杓子は耳掻きにならずというやつでしょうか。意識の無いまま大活躍したあげく強力なライバル登場の佐倉たん哀れ。(笑) 2005年10月22日 (★★)
白射!
UG☆アルティメットガール、漫画版の記事を書いた関係で公式にも行ってみたらば何故か Web ラジオの新作が。12月に出る通常版DVDの特典ドラマの宣伝という事でそれに関する話だそうな。「みんな一つずつ何かを失くした」っぷりが伺える解説が楽しい。2話のレズ話(?)と3話のセクシーワンマンショーが気になる~。
しかし、まだ1年経っていないはずなのに、何もかもみな懐かしい。
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ビールかぁ。
ジャーマンポテトかぁ。漫画漫画した漫画になっちゃってますがそれはそれで良。でも巨大ヒロインというネタが絵柄のせいで霞んでしまっているのが残念。でもこのネタで頭身がリアル系な絵柄だとエロマンガになっちゃうか。 2005年10月20日 (★★)
読んだもの:アルティメットガール 桜花春風巨大乙女!:威 成一
著者 HP 発売★アルティメットガール
原作:m.o.e.・スタジオマトリックス
出版:MediaWorks 電撃コミックスEX (紹介)
……あああぁっ!! 第5話見逃したぁっ!! 何か忘れていると思ってはいたのですが。
…… FLET'S の灼眼のシャナを。(^_^;
まあシャナはどうせみのがしちゃったし次の6話はあと一週間公開期間あるから後回しにしてとりあえず3話ずつ公開のを一つも見ていないせっぱつまっている LAST EXILE の方を見る。
……不覚! ディーオに萌えてしまった (^o^;;;;
出来は良いのですが優等生すぎる作りのせいで感想を書く気にならず blog 的には放置してきたこの作品なのですが。なんかとっかかりが出てきた感じ。
ついでなので途中で観るのを止めていた ToHeart が全話公開中という事で最終話だけ観る。
……観なくて正解でした。いや同ネタの D.C. が鮮烈すぎた、という相手が悪すぎの影響もありますけれども、やはり通り一遍な作りの作品は心に響かないというあたりの問題かと。
ついでなので同枠(?)で後継配信のはにはにの第1話も。
……あれ? この話知ってるような!? あまりにベタな落ち物ラブコメすぎて既視感が強すぎるための錯覚か……とも思ったのですが。よく考えたら体験版(18禁)をプレイしてました。あああ、そのまんまだ。主人公、空から落ちて来たヒロインについてもう少し悩めよ! という所までそのまんまだ。こういう作りは作る方は楽でいいですね。
というわけで、いろいろ見てからやっと ノエイン もうひとりの君へ 第5話。
それこそ「ソレカラ…」としか言いようの無い繋ぎの話でした。まあ各キャラの事情も垣間見えたですし必要な話ではありますね。カラスの「俺達の知っているハルカ」って気になるし。先が楽しみ。
……何気に一人死んでますが。でもちゃんと死にフラグ立ててから死ぬあたり基本に忠実。つーか死に役として出ただけですかこの人。公式ブログでのコスプレ企画でも「いや……それはねぇだろう……」とか書かれてるし。いろいろな意味で哀れ。
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関連:涼宮ハルヒの動画
読んだもの:『涼宮ハルヒの陰謀』, 『絶望系 閉じられた世界』, 『涼宮ハルヒの動揺』
イラスト, 巻末企画『裏いーじす・まんが』:後藤なお 『GALAXYS CHILD HOMEPAGE』 (発売告知)
出版:MediaWorks 電撃文庫 (紹介)
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双子と他人と断定されてしまうのか」に納得行く説明が無いというのは小説版(原作も?)と同じですけど。 2005年10月 9日 (★★★)
原作:Please! HP
出版:MediaWorks 電撃コミックス (紹介)
ノエイン もうひとりの君へ 第4話。
……あああぁっ!! 第3話見逃したぁっ!! 何か忘れていると思ってはいたのですが。
でも見逃しても話が分かる話だからいいか。いや105円で視聴出来るんだからケチケチせずにそれで見ればいいだけですけれども、そんなに執着も無いしなぁ。
それはともかく。今回の話。
なんかえらい目に遭ったわりにえらくのんびりしてるのですが。>>ハルカさん
危機感に欠ける性格なんだなぁ。アイがいらつくのも分かるような。
ビンタで語り合う女の友情か。ハードだ。
ハルカの母ちゃん、やはりつまんない事で親友を失くしたのでしょうか? こういう所こまかいですね。
そしてストラップ探し……いい話や。
しかしカラスさん、なんでそんな所でのんびりとハルカを眺めてたりユウに粘着したりしてるのですか!? 任務はどうしたんだか……。つーか、この人も高い所が好きですね。
シャナが脱いでうろたえるくらいならば、まず目の前を彼女の絶対領域が過ぎった時点でおののこうよ。>>悠二
今回の話、マリアンヌを存在させようとするフリアグネと、悠二の存在を無視しようとするシャナ、という対比なのでしょうけれども。
悠二に会ってツンデレ化する以前のシャナもろくに描かれず、マージョリー・ドーとの戦いも初、という状態で今回みたいな「シャナが以前と比べて弱くなっている」という話をされても実感が湧かないのですが……まあシャナが脱いだのに免じて許すか。しかしアラストールも意地悪だね。(笑)
話はどうあれ、最後にシャナの絶対領域を映していとうのいぢさんもお気に入りの『夜明け生まれ来る少女』が流れると締まってくれるから良いですね。
しかし、何でこの話の人達ってみんな高い所が好きなのだろうか?
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イラスト:水上カオリ HP
『テヅカ・イズ・デッド』読了。
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: i ,'. . : :', 、,,_ ,.:': ,r'. : , : : !: : あやまれ!!
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と文句を付けたくなるような話ではなかったというのは、良かった事なのか悪かった事なのか……。
とりあえずタイトルを『タケウチ・イズ・デッド――とじられたマンガ表現論へ』に替えた方がいいと思う。なんかこうイメージが「墓から死体を掘り出して鞭打つゾンビ」といった感じ。その死体も漫画の神様そのものではなく……。
MMORPG どころか、少女漫画やアニメを普通に楽しんでいる普通の人は「まえがき」と「あとがき」だけ読んで中身読むのは省略してかまわない内容。中身は業界内ゲバでしかないですから。
個人的には、マンガ評論というのがそこまで悲惨な状況だ、というのを知ることが出来ただけで値段分の元は取ったと思うのですが、他人に薦められるかというとちょっと……。
著者の誠実さだけが救いではありますが。本書の9割方を占めている他者への攻撃と言い訳予防線を掻き分けて大意を取れば、少なくとも著者が限定している範囲での論に破綻は無いとは思います。でもそれってちょっと別のジャンル(TVマンガであるアニメとか)に援用しただけで無意味になる「閉じた議論」なんですよね。自己完結した用語を使った自己完結した論理。別ジャンルまで目を向けないとしても、例えば擬人化動物という萌えキャラを使った日本(世界?)最初期の漫画である鳥獣戯画を取り上げただけでも、本書のキャラ(Kyara)とキャラクターの使い分けで表現した『ぼのぼの』の特異点としての評価は消えうせますし。提示している概念と用語の適用可能範囲が異様に狭い。
単に擬人化キャラに涙できるというだけならばインドラとウサギの説話で充分。つまり萌えにそもそも絵は必要ではないというあたりをすっ飛ばして
多くの場合、比較的に簡単な線画を基本とした図像で描かれ、固有名で名指しされることによって(あるいは、それを期待させることによって)、「人格・のようなもの」として存在感を感じさせるもの
と定義されるキャラ(Kyara)を論議の基盤とした時点で、論の対象がマンガ全般ではなく「(アニメ作家としての存在を無視した)手塚治虫のマンガ、を崇拝するマンガ論者」程度にまで卑小化してしまった。歴史上のマンガ作品そのものに適用するにしても(映画や小説、演劇で既に描かれていた)キャラクターの内面がマンガで描かれなかった(と著者が決め付ける)昔の子供マンガから、アニメというTVマンガが始まるまで間の小期間くらいにしか適用範囲は無し。
現実の人間によるコスプレやゴスロリ・ファッションでも萌えを体現できますし、絵でシーンを描かない小説でも萌えキャラは存在する。簡単な線画で描かれたキャラというのは萌えを体現する一つの手段でしかない。著者は原因と結果を取り違えているのだと思う。多くの場合萌えにはマンガ絵が付随する(例えばライトノベルにおける挿絵)としても、それは萌えの結果であって原因ではない。
著者の論ずるマンガの範囲がそもそも「紙の上にコマを割って描かれた、少年/青年向けストーリー・マンガ」に限定されているので論自体に破綻は無いですけれども……激しくどうでもいいなぁ。
いや、書内で著者が言及、というか唾を付け回っているネタそのもの(特に『ガンスリ』あたり)は的確ですので、単に他人の論の欠点の指摘は出来ても自分の見るマンガを組み入れられる論をまだ組み立てられていないだけ、だとは思いますが。
ああそうか! リンクという Web の根幹にあった概念そのものが問題だったのか!
検索エンジン(というか機械的な Web 巡回)を
<meta name="robots" content="noindex,nofollow,noarchive" />
ではじいているというのも重要。先の 『テヅカ・イズ・デッド』 is dead での表の 情報 行の右列に入れるのに一番妥当な代物かも。
URI で一意に指定できるという事自体は良いとして、a 要素で(機械可読に)リンク出来てしまうというのは今日の Google に代表される Web 2.0 的事態の大本の戦争(?)責任だったのだな。
『テヅカ・イズ・デッド』第3章を読み終えました。現在のところ、先の懸念がいちばん悪い形で当たっている感じ。というかこれは、たけくま氏の記事を読んで過大な期待をかけてしまった私の方が悪いのであって、マンガ(批評)業界内批判としてのこの本の価値を貶めるものではないのですが。
というか、絵で表象されるかどうかは問題ではないと思う。だって『不思議の国のアリス』のアリスとか『竹取物語』のかぐや姫とかに萌えるのは「それがマンガだから」ではないし……。もちろん萌えを端的に受け止める記号として絵というのは強力な手段だけれども、それは結果であって原因ではないのではないかと。
それ以前の問題として、「なんで『ピーナッツ』ではなくて『ぼのぼの』なの?」というあたりで疑問を感じてしまい……。東浩紀氏の著作を読んだ時も「なんで『えここ』じゃなくて『デ・ジ・キャラット』なの?」とかの基本の部分で違和を感じてしまいましたけれども。なんか、わざわざクリティカルなものを避けて通っているような感じを受けてしまいます。
あるいは、こういう題材(記号と身体)を問題にしたいのならばアンクル・サムとかアンクル・トムとかを比較対照として扱う方が、日本のマンガのみを直接問題にするよりも早道かも。
『わが心のフラッシュマン』(中島梓)のその先をこそ見たいのに、その3歩前あたりでよちよちしているものばかり。もちろん作家の感性に論理的な評論が追い付くのはずっと後、という事は分かってはいますし『テヅカ・イズ・デッド』が無意味とは言いませんけれども。学問というのはまだるっこしいです。
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という風には考えないよね? 自分をなぜ、殺したいの?
中学生の女の子が、どうして?
なんて学年でイメージしたりしないよね? 中二の少女自身の視点の物語のはずなのに……。暗い、黙ってなにか抗議するような目をした、中二の女の子の顔があった
What's your poison?であって
What's my poison?ではないという事か。「大人だまし」としては妥当な書き方なのかもしれませんけれども、「バトルアックスと一緒に『All You Need Is Kill』から小器用な駄目っぷりも借りてくるなよ」と言いたい。仮にこの作者の著作としてこれを最初に読んでいたならば以後この作者の作品には一切手を出さなかったかも。まあ犬を見捨ててから金魚を殺すまでのお話として出来は良いとは思うので最低点は付けませんが……でもこれなら(先に最低点を付けた)『ロクメンダイス、』の方がまだマシかなぁ。 2005年9月28日 (★★)
出版: (紹介)