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2005年8月 2日

信濃木崎夏期大学『四人称の世界―フィクションのおもしろさ』外山滋比古

この校舎って夏期大学のためだけに有るのだろうか8月1日、会社が夏休みだったので信濃木崎夏期大学の1日目に行って来ました。

参加者は小中学校の教職員が多かったのかな? そもそもこの日程では学校が夏休みな教職員でもない限り参加できませんか。というか学校毎にあらかじめ名前が印刷された出席簿が並んでいたので近在の小中学校の教師達は半強制的に参加させられているみたいです。嫌な気風の県だ。

講座そのものは「四人称」等という聞きなれない言葉を使ってはいるものの、作者と作品と読者の関係の話。

0 - (1 - 2 - 3) - 4

なんて図を書いて説明していましたが、作中世界を現す (1-2-3) と違うコンテクストを持つ作者(0人称)と読者(4人称)を表わすためにそういう言い方をしているよう。もっともなぜそれを単に「作者」とか「読者」と呼ぶのではいけないのかが全然分からなかったですけれども。

  • シェークスピアより後の近代演劇(幕で舞台と客席を区切る)から「四人称」の観客が生まれた
  • 作品の面白さは作品内容そのものではなく読者が作品を「解釈」しようとするプロセスに有り、読者と作品の距離が(あくまで読者が理解しようと思える範囲で)大きいほどより面白さが生まれる
  • 近年のTVドラマ等の新メディアの作者は作品と読者の距離を近くしようとしており、それは作品の面白さをむしろ減らしてしまう
  • 読者が複数回の読み込みで苦労して「解釈」する作品が良い作品

みたいな感じに要約できるかな。

英文でも手紙だと主語(I)を省く

とかの「へぇ~」と思う事はありましたが、オタクの端くれで blog なんぞやっている立場から見ると「いまさら」感の強い講義でした。

しかし最後に会場から出た「我々四人称の(くだらないので中略)良質なメディアである小説が衰退して、今後どういう方向に行くのでしょうか」みたいな質問を聞いて「このレベルの聴衆に話さないといけないのか」と暗澹たる思いにかられ、講師の(というかアカデミズムというものの)苦労と講義の内容のレベルの妥当さに思い至ったのでした。(さすがに講師は最後の「どういう方向に行くか」という質問だけ取り出して「分からない」と言ってお茶を濁していましたが……自分の行った数時間の講義の意味を全く理解していないのを如実に示すああいう質問をされるとげんなりするんじゃなかろうか)

しかし「我々」なんて言葉を使うあたり、質問者はいかにも教師。あんた最強の「0人称」でしょうに何が「我々四人称」だか。読者(生徒)をテストして点数まで付ける「メディア」は他には無いというのにそれに無自覚なんだろうな。そして「小説」「TV」「ネット」というメディアの「形態」に良質悪質の差があると決め付けている。(「作品内容でも演劇・小説・新聞といったメディアの差にでもなく読者と作品の距離そのものに面白さの本質がある」というのが講義の根幹だったのに)

まあ業務でもないのに「我々」「私たち」「わが国」なんて言い方をする人間にろくなヤツは居ない、というだけの話なのでしょうけれども。

講義の内容は練り直して追加して来年あたりに出版されるようなので、中島梓だとか大塚英志だとかの評論を読んで今ひとつピンと来なかった人への基礎固めとしてなら薦められる本になるのじゃないかと期待できます。

……あ、あと東浩紀読んで「こいつの言っていること何か変だ」と感じてもそれを言語化できない人への理論武装用にも。(笑)


ところで。

ツインズ! コロッケ定食 ¥750(税込)

おねがい☆ツインズ』とコロッケ定食に何の関係があるのでしょう? 小説版読んだだけなので分からない。(カレーの方はファン発であって作品そのものとは関係無いらしいですが)

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