D.C. ~ダ・カーポ~ #26:最終回
『D.C.』、最終回というタイトルの最終回。奇麗に終わったなぁ。
さくら編エンディングソング「存在」から始まりオープニングソング「サクラサクミライコイユメ」で終わり。見事な構成です。
キャラ紹介以上の意味の無かったタルいシリーズ前半の時点ではいつ見捨てようかと思いつつサイドストーリー目当てで見ていたのですが、主人公が音無とあっさりくっついて以後のさくらが主役になってからの話は魅力的でした。これって当て馬なのはさくらではなく音無で、そしてその当て馬が勝ってしまう、という話だったのですね。
一言で言えば失恋して成長する話なわけですが、さくらが思い切らずに心を残しているのがエロゲー的かも。割り切れない弱さ。割り切らない残酷さ。ぬるまっこいハーレム。
この『D.C.』メインヒロインの音無に魅力が無いのが問題な話だと思っていたのですがそれは根本的に見方を間違えていた感じ。音無というのはヒロインというよりもマドンナつまり象徴で、ヒロイン達が望む幸せを体現しているというだけのキャラクター。そんな音無を常に意識しながら隣の死んだ祖母の家で一人きり過ごすさくらがヒロイン代表。他人の夢を覗き見る能力を持ちながら決してそれに取り合わない観察者=視聴者が主人公の純一。彼は主役でなく観客。お客様にして神様。
主人公(と音無の関係)を決して手に入れる事の出来ない思い出として仕舞い込んでさくらは(不思議さんと同じように)旅立ち、そして物語は終わり。終わらない初音島に残り da capo を生き続ける純一と音無。終わらない物語と物語としての終わりを的確に表現してくれました。
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