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2005年5月20日

剣の舞踏会

神無月の巫女 第十一話

最終回一つ前だけあっていい所で終わるし。

でもこの演出だと「千歌音ちゃんは悪い人に操られてるんだ」と(姫子にも視聴者にも)理解されてしまいそう。千歌音に射られて石にされた雑魚オロチの皆さんの声やら、千歌音とパラレルに描かれる(かのように見えてしまう)ソウマがオロチ化して行く所とか、何より謎の声が巫女同士の殺し合いを眺めながら「してやったり」とばかりに喜んでいる事とか、ミスリードさせそうな要素が多いですから。

千歌音の側は借り物の形でしか生きる術を知らなかったというシンプルな人格なので、彼女が「その言葉どこから借りて来たの?」と(視聴者サイドから見て)突っ込みたくなるような調子なのは納得する所ですが。

本当に問題なのは姫子の側。単純な「萎縮した人格」というだけでは収まらないし、実際それではこういう話にならない。見ていて「姫子という人間が分からない」という事。「視聴者代表」で済ませられる単純さのヒロインではないですから。

乙羽と千歌音の関係程度には(姫子にとって作中唯一の親しい同性の友人である)マコちゃんとの関係を描いておいて欲しかった気がします。ソウマとのそれに関しても彼の好意をどう受け止めているか(というか本質的な部分で拒否しているその部分の“何故”)が良く分からない。

千歌音にとって姫子でなければいけない理由はあっても、姫子にとって千歌音でなければいけない理由は無し(ただの「身に余る憧れの人」)。またマコちゃん的な他人を受け止め救う強さも 乙羽的な他人を助けないでは立ち行かない弱さも無いのが姫子の「萎縮」の本質でしょう。しかし姫子は千歌音を(本質的な意味では)理解も共感もしていないのに(ピントのずれた形であれ)千歌音に「執着」しているのですよね、他の部分ではひたすら「人生のお客さん」なのに。その辻褄の問題。

なまじ ツバサ&ソウマ兄弟あたりが短い描写であってもちゃんとそのへん押さえられているだけに、彼女らに関してのその理由(の記述)の無さが気になります。

次回最終回で納得できる形で決着が付くでしょうか。見るのが楽しみです。

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